こころの浮き沈みをなだらかに

日常生活の中では、いろいろな出来事がおこります。
いいこと・悪いこと・どちらでもないこと・・・
そのとき、いいことや悪いことのとき少なからず心はざわつきます。
その振幅が激しいと、その感情に翻弄され、また、そのことに執着があると 時間がたっても心の波風がおさまりませんね。

たとえば、仕事や勉学で成功・競争に勝つ・ラッキーなことが起こったり すると、喜びます。
自然な感情ですし、喜ぶのはいいことです。

しかし、こういった「喜びごと」もややもすれば、次もとか、これがいつ までも続くように・・・とか、さらにもっともっと・・・といった具合に 執着してしまいがちです。
すると、期待どおりにものごとがすすまなかったとき、落胆も大きくなり 目の前にある現実が色あせて見えてしまい、感謝すべきことが見えなくな ってしまうのです。

逆に、失敗や不運が起こったときは、なんでこんなことに・・・とか、こん なことはうけいれられない・・・となってしまいます。
この場合も、それに囚われると、いいことや恵まれていることに気づくこと が難しくなります。

つまり、自分の外で起こることにこころを持って行かれ、感情を揺り動かさ れたままで生きていくと、川の流れにのった木ノ葉のように、上下左右・浮 いたり沈んだりと翻弄されてしまいます。

仏教では、清く正しい生き方のノウハウとして心の扱い方などを教えてくれ ていますが、その中の1つに念と定という考えがあります。

念とは、漢字をみると「いまの心」と書きますよね。
「いまの心」の状態をはっきりと意識すること。喜んでいるのか、悲しいの か、悔しいのか・・
それを意識し、その心も流れていくことに気づく。

定(じょう)は、沸き起こった感情は流れていくに任せ、心をニュートラルに 戻し、あちこちと散慢になるのを防ぐ。

人は出来事に対していろいろな感情を持ち、そのこと自体は自然なことですが そこに自分流の物語をくっつけていきます。
そのことで、執着がおこったり、受け入れが難しくなったりし、苦悩が生じる のです。
揺れ動いた心はそっとしておき、できるだけ、今の状態に焦点をあわせるよう 意識すること・・・それが楽な生き方・幸せな生き方につながるようです。

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