神頼みは、効果がある?
もうどうしようもない・・・となると、神頼みというか何かにすがりたくなります。
特にがんという難しいと言われる病気の場合、できる治療を行った後、結果がどうなるかは神のみぞ知る・・となります。
つまり、経過観察をしながら、がんがおとなしく消えてくれるのかくすぶっていたものが再燃するのかは、誰にもわからないのです。
そこで神棚に手をあわせたり、神社に参ったりしたくなる・・・。
その気持ちはわかります。
ただ「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあるように神様に丸投げはよくないですよね。
自助努力も必要となります。
たとえば、運転時の交通安全を例にして、考えてみます。
あなたは免許を持っていて車を運転するとします。
安全に運転して目的地まで着きたいのは、当たり前ですよね。
そこで、「安全運転」を祈り、お守りやお札を買ったりすることもあるでしょう。
つまり、「安全」を神頼みするわけです。
でも、大前提として、あなた自身が「安全な運転」を心がける必要があります。
車がきちんと整備されている
自分の体調がいい
精神的に落ち着いている
スピードを出しすぎない
安全を意識して運転する
これらの条件が満たされての「安全」です。
もし、タイヤの空気が抜けている・徹夜あけでふらふら・
仕事でのトラブルを抱えている・考え事で頭がいっぱい
100㎞を優に超えている・信号はフル無視・・・
こんな運転をしながら、神様にちゃんとお願いしているから安全は保障されていると自信を持つ方がおかしいですよね。
では、身体の病気のことと、運転時の安全のことを結び付けて考えてみましょう。
車の整備・・・身体の物質的な治療
精神・・・前向きな気持ちを持つことやストレス対策
安全への意識・・・健康への意識(いい食事や運動をしようとする)
運転の仕方・・・日常の生活のしかた(無理をしないなど)
このように治療を受けるという受け身的な姿勢だけではなく、身体的ケアをしたり、良好な精神状態を保つようにしたり、健康的な生活習慣を持つ・・・
自分の健康を取り戻すために、最大級の自助努力をすることが「人事を尽くす」です。
その後で「天命を待つ」という形になるんですよね。
病気になったことを、不運・災い・家系・年齢・・・こういった条件のせいだけにすると、どうしても病院でなんとか治してもらわないと・・という発想になります。
安全に運転するだけでも、自分の責任の部分が多くを占めるのです。
ましてや、病気のほとんどは、食事や運動の生活習慣や、ストレスや心の在り方など、自分の中に原因がかなりあります。
まずは安全運転=健康体になるために、必要な条件を満たしているかを見つめ直して、できる自助努力はすべて行って、そして「がんが治りますように」と神に頼みましょうね。
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