抵抗・判断・執着が苦しみのもと

インドの哲学者・クリシュナムルティの言葉に「何が起ころうと気にしない」 というのがあります。
「気にしない・・・」でいられることのスケールで人間の器の大きさが図ら れるように思いませんか?

「気にしない」でいられれば、ストレスを感じることもないでしょうね・・。
ストレスとは、自分の思うようにならないことを、なんとかしたいと考えたり 自分にはどうしようもないと感じることから生じます。

「気にしない」ことは、起こることや変化をそのまま受け入れ、自分の人生の 一部としてしまうことです。

「受け入れる」ため大前提として・・・
「現実の現象は、自分の内的状態の反映」であると知ることです。

もしかしたら、「私は悪いことなんか1つもしていないのに、悪いことが起こ る。不公平だ!」とか、「私のまわりは非常識な人ばかりが集まってくる!」 などと考えているかもしれません。

でも、それは、今の自分が知りうる範囲の中で、自分は悪いことをしていない とか、自分はごくごく常識的な人間だ!と判断しているだけであって、もっと 高いところや広いところから見れば、違う見方が出てくるかもしれません。

ですから、私は・・・という見方を捨て去ることがとても重要なのです。
現実の現象から、これが、これまでの自分の思考や行動や内的状態の反映であり 結果なのだ!と自分を振り返るようにしてみませんか?

その謙虚さがあれば、物事は、「気にならなく」なってくるのではないでしょ うか?

また、受け入れるための策として

「そうですか・・・?」  ものごとに抵抗しない
自分が知っていること・そうではないのに・・・と思っていることなどを 見聞きすると、つい、自分の正論を振りかざしたくなります。
また、自分が損をするとか不利になるような話だと、抵抗したくなります。
が、ひとまず、「そうですか・そういうものですか」と自分の中に落とし 込んでしまいましょう。

「そうかもしれない」  判断を加えない 
私たちの脳は、何か情報を得るとすぐさま、善か悪か、損か得か、正か誤か といった判断をしようとします。
でも、その判断も、今の自分の範疇でおこなっていることで、その判断自体 怪しいものです。自分の経験値が変われば、基準が変わることは、往々にし てあります。
絶対こうだ!と決めつけることなく、ひとまず「そうかもしれない」「それも あるかもしれない」と中庸においておきましょう。

「これも過ぎ去っていくものだ」   執着しない
どんなに大変なことがあっても、過ぎ去ってしまえば、ただの記憶の産物 です。でも、私たちは、その産物に物語をくっつけて、そのときの感情を ふたたび味わう・・・という特技を持っています。
ここが、人間と他の動物たちとの違いですよね・・・。
今、ものすごく感情を揺さぶられる出来事があったとしても、その感情を 追い掛け回さないで、そっとしておけば、じきに記憶の産物になります。

心の波風が立ったときには、これらの言葉を思いおこせば、ものごとが少しは 「気にならず」やりすごせるようになるかもしれません。

受け入れること・気にならなくなることと、何もせず手をこまねいてあきら めることとは違います。
感情が高ぶっているときに何か対策をとっても、いい案は浮かびませんよね。
「気にならない」第三者的な立場からものごとを見たり考えたりする方が、ず っと明瞭で賢明なわけです。そこから、対策を講じていけば、いい対応ができ るのです。

現代、一流企業のCEOやエリートたちが「瞑想」を日常的に取り入れるのは、 こうした恩恵を得ることを理解しているからだと言えます。

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